2012年01月23日
李娜(Na Li)の全豪オープンテニス2012
今日、全豪オープンテニス2012で中国の 李娜 とベルギーのクライテルシュのゲームを、WOWOWで観戦しました。 李娜 は4本のマッチポイントをモノにできず敗退してしまいました。
2011年の全仏オープンで、中国人として、アジア人として初めて優勝した李娜 。その後、その明るいキャラクターが影を潜めているように見えるのが心配です。
少し前に「李娜(Na Li)は復活できるか?」でも書いたとおりです。
実は、クライテルシュと李娜は、テニスのスタイルも、年齢も近い二人です。二人とも30歳前後で、テニスの世界ではベテランと言ってもよいでしょう。クライテルシュは4回、李娜は1回のグランドスラムタイトルを持っています。クライテルシュは、それだけのキャリアの中、出産後にテニスシーンに戻ってきました。李娜が、自分もいつか子どもを持ちたいと思っているかどうかは分かりません。しかし、おそらく、李娜にとってクライテルシュは、テニスのキャリアでも、人生のキャリアでも、(良い意味で)刺激を受け、学ぶところが多い選手ではないかと思います。
今日の二人の試合は、テニスの試合でありながら、コート上に、何か、そのような二人の見えない意識が流れていたように、私には思えてなりませんでした。もちろん、テニスのゲームはゲーム、そこには、言葉の上での会話はありません。しかも、この顔合わせは、実は、昨年(2011年)の決勝戦の顔合わせでもあり、テニスの試合としての互いの意識は、かなり強いものがあったでしょう。
とはいえ、その二人が早いラウンド(4回戦)で当たるほど、今のテニスは若い世代にトップがシフトしてしまっています。その中で、この、家族を持ちながら世界のサーキットを回っている二人のベテランが、そういうテニスの戦い方もあるのだということを見せてくれることは、それだけで素晴らしいことだなと思うのです。
2011年の全仏オープンで、中国人として、アジア人として初めて優勝した李娜 。その後、その明るいキャラクターが影を潜めているように見えるのが心配です。
少し前に「李娜(Na Li)は復活できるか?」でも書いたとおりです。
実は、クライテルシュと李娜は、テニスのスタイルも、年齢も近い二人です。二人とも30歳前後で、テニスの世界ではベテランと言ってもよいでしょう。クライテルシュは4回、李娜は1回のグランドスラムタイトルを持っています。クライテルシュは、それだけのキャリアの中、出産後にテニスシーンに戻ってきました。李娜が、自分もいつか子どもを持ちたいと思っているかどうかは分かりません。しかし、おそらく、李娜にとってクライテルシュは、テニスのキャリアでも、人生のキャリアでも、(良い意味で)刺激を受け、学ぶところが多い選手ではないかと思います。
今日の二人の試合は、テニスの試合でありながら、コート上に、何か、そのような二人の見えない意識が流れていたように、私には思えてなりませんでした。もちろん、テニスのゲームはゲーム、そこには、言葉の上での会話はありません。しかも、この顔合わせは、実は、昨年(2011年)の決勝戦の顔合わせでもあり、テニスの試合としての互いの意識は、かなり強いものがあったでしょう。
とはいえ、その二人が早いラウンド(4回戦)で当たるほど、今のテニスは若い世代にトップがシフトしてしまっています。その中で、この、家族を持ちながら世界のサーキットを回っている二人のベテランが、そういうテニスの戦い方もあるのだということを見せてくれることは、それだけで素晴らしいことだなと思うのです。
2011年10月22日
東レパンパシフィック2011決勝 ~やっぱりたった5歩のダンス
少し時間がたってしまいましたたが、東レパンパシフィックオープン2011の決勝戦をテレビ観戦しました。
素人の私が見えてもパワーで劣るラドワンスカが、ランキング4位のズボナレワに圧勝しました。私は試合を見ていませんが、ラドワンスカの準決勝の相手はやはりパワーテニスのアザレンカですので、準決勝でも、おそらく、同じようなテニスを展開したのだと思います。
試合を見る限り、ズボナレワが自滅したという人が多いかもしれませんが、試合を見ていて、私には、ラドワンスカがズボナレワに「打ち勝った」と思いました。
どうして、あんなに小柄なラドワンスカがズボナレワの強打に打ち負けるどころか、打ち勝つことができたのか…。テニスにおいて、パワー(球威)のあるボールを打つポイントは、スイングの速さではなく、ステップ(足運び)なのではないかと思ったのです。
以前、たった5歩のダンス、というブログを書きました。テニスにおいては、実は、このステップ(ダンス)が、最も重要なポイントの一つなのではないかと、改めて思いました。テニスは、体格ではないのです。
もちろん、そのステップを支える下半身の安定感については、体格が有利・不利になることもあるでしょう。しかし、小柄で細身のラドワンスカは、私に、希望を与えてくれました。
当時のブログを、再度、掲載したいと思います。2011年のウィンブルドンについて書いた記事です。
ウィンブルドンの試合をテレビで見るのは何年振りかだったのですが、今年は、特に、神尾米さんが解説を担当されていた第1週目(前半)の女子の試合を中心に、WOWOWで放映された何試合かを見ました。(私は、米さんのファンなので(笑)。)
今年の女子は、クビトバ(チェコ)の初優勝で幕を閉じた女子シングルスですが、女子の試合を何試合か見ているうちに、ふと気が付いたことがあります。
それは、大型化が進む女子選手の中に、比較的小柄であったり、またはスリムであったりするプレーヤーが混じっている(残っている?)ということです。
最近の女子テニス界は、ウイリアムス姉妹はもちろんのこと、シャラポワ、アザレンカ、クビトバ、リシツキと、大型でスケールの大きなテニスをする女子プレーヤーが目立ちます。
その中で、時々、小柄またはスリムな選手が時々上位に進出するのですが、これが楽しみの一つになっています。たとえば、今年、私が見た試合では、ピロンコバ(ブルガリア)やエラコビッチ(ニュージーランド:ダブルスでベスト4)などがそうでしょうか。(少し前だと、ヒンギスがそうですね。そういえば、エナンの2度目の引退は、残念でなりません。)
しかし、ただ小柄だったらよいというわけではありません。たとえば、準々決勝でアザレンカと戦ったオーストリアのパスゼックは、小柄ですが、私にはあまり魅力的なテニススタイルには見えませんでした。
体格がよい(もっと正確には身長と体重がある)選手は、フットワーク(正確にはステップ)とストロークが独立しても強いボールを打つことができます。フットワークを使ってボールの打点にまず移動する。移動してから、改めてボールに体重を乗せてボールを打つ。この2つの作業を別々に、連続して行うことができるのです。
しかし、体格がよいわけではない選手は、ステップワークとストロークがうまく同期(シンクロ)しなくてはなりません。打点のところまでのステップは、同時に、ストロークの一部でなくてはなりません。コート上での動きは、すべてが、ストロークの一部というわけです。そのためには、力の使い方も、体の使い方も、そしてステップにも無駄がありません。
そういうプレーヤーは、見ていて美しいし、楽しいのです。別項(メシールのテニス(12) なぜメシールのテニスは美しいのか~フットワークについて)で書きましたが、私がメシールのテニスが好きな理由は、メシールは典型的な後者のプレーヤーだからです。他には、かつてのチェコスロバキア選手として活躍したハナ・マンドリコバなどがそうでしょう。精神的にむらっけがあったものの、マンドリコバのプレーは、コートの中でまるで踊っているように美しいものでした。
話は変わりますが、もし、あなたが、ベースラインの真ん中で構えてベースライン上で相手のボールをストロークで打つとして、ボールをヒットするのに何歩が必要かご存知ですか?ご存知がない方は、ぜひ、一度、コートで試してみてください。意外に少ないことに驚かれると思います(私は驚きました)。
たとえば、私の場合、フォアハンドはほぼ2歩、バックハンドは3歩です。つまり、合計でたった5歩で、実は、ベースラインの端から端までをカバーできるのです。最初の一歩は、フォアもバックも、ボールと反対側の足になります。たとえば、フォアハンドでは、左足が一歩目になります。
フォアハンドとバックハンドで歩数が違うのは、私の場合は(メシールを真似して)フォアハンドは基本的にはオープンスタンスで打つからです。また、実は、2歩では、サイドラインから50㎝~1mほど足りないため、本当にギリギリのボールに対しては、あと1歩(または2歩)必要になることもあります。私のレベル(中級)ではそこまできわどい球が飛んでくることは、ほとんどありませんが。
つまり、テニスのストローク戦は、この5歩でどこまで戦えるかということになります。たった5歩と言っても、簡単ではありません。特に、ボールを打った後で元のポジションに戻るときも、フォア2歩、バック3歩で戻らねばなりません。ストロークで、右足または左足に体重が乗っているところでそれを戻し、さらに、少ない歩数でレディーポジションに戻るためには、ボールに入る・ボールを打つ・体重を戻す・レディーポジションに戻るという一連の動きがスムーズであることが求められます。
この一連の動きに無駄がなく、スムーズでなめらかであると、テニス全体が美しく感じます。
コートの上で、フットワークとストロークには境目はありません。フットワークを含めた大きな一つのストロークプレーがあるだけです。
広いコート上での、たった、5歩の、ダンス。
特に、両手バックハンドは、左膝と腰をしっかり落とすことが大切ですので、バックハンドの一連の動きのフットワーク全体に対する負担は大きくなります。メシールが、バックハンドストロークのアンフォースドエラーの後で、「もっとしっかり腰を落として!」と自分に言い聞かせるのを何度か見たことがあります。それでも、一連の動きはスムーズでなくてはなりません。
5歩の動きの中で、ボールをヒットする。これがスムーズで同期しているテニスこそが、美しいテニスです。バランスを崩さず、体重移動をスムーズに、そしてその中でボールとの距離の微調整をうまく取れること。ボールを強くたたくことよりも、ボールに強いスピンをかけるよりも、流れるようなプレーの中で重いボールを打つことが大切です。
このブログの最初の目的は、私自身が、なぜ、メシールのテニスを美しいと感じるかということでした。少しずつ、その答えに迫ってきているように感じます。
素人の私が見えてもパワーで劣るラドワンスカが、ランキング4位のズボナレワに圧勝しました。私は試合を見ていませんが、ラドワンスカの準決勝の相手はやはりパワーテニスのアザレンカですので、準決勝でも、おそらく、同じようなテニスを展開したのだと思います。
試合を見る限り、ズボナレワが自滅したという人が多いかもしれませんが、試合を見ていて、私には、ラドワンスカがズボナレワに「打ち勝った」と思いました。
どうして、あんなに小柄なラドワンスカがズボナレワの強打に打ち負けるどころか、打ち勝つことができたのか…。テニスにおいて、パワー(球威)のあるボールを打つポイントは、スイングの速さではなく、ステップ(足運び)なのではないかと思ったのです。
以前、たった5歩のダンス、というブログを書きました。テニスにおいては、実は、このステップ(ダンス)が、最も重要なポイントの一つなのではないかと、改めて思いました。テニスは、体格ではないのです。
もちろん、そのステップを支える下半身の安定感については、体格が有利・不利になることもあるでしょう。しかし、小柄で細身のラドワンスカは、私に、希望を与えてくれました。
当時のブログを、再度、掲載したいと思います。2011年のウィンブルドンについて書いた記事です。
ウィンブルドンの試合をテレビで見るのは何年振りかだったのですが、今年は、特に、神尾米さんが解説を担当されていた第1週目(前半)の女子の試合を中心に、WOWOWで放映された何試合かを見ました。(私は、米さんのファンなので(笑)。)
今年の女子は、クビトバ(チェコ)の初優勝で幕を閉じた女子シングルスですが、女子の試合を何試合か見ているうちに、ふと気が付いたことがあります。
それは、大型化が進む女子選手の中に、比較的小柄であったり、またはスリムであったりするプレーヤーが混じっている(残っている?)ということです。
最近の女子テニス界は、ウイリアムス姉妹はもちろんのこと、シャラポワ、アザレンカ、クビトバ、リシツキと、大型でスケールの大きなテニスをする女子プレーヤーが目立ちます。
その中で、時々、小柄またはスリムな選手が時々上位に進出するのですが、これが楽しみの一つになっています。たとえば、今年、私が見た試合では、ピロンコバ(ブルガリア)やエラコビッチ(ニュージーランド:ダブルスでベスト4)などがそうでしょうか。(少し前だと、ヒンギスがそうですね。そういえば、エナンの2度目の引退は、残念でなりません。)
しかし、ただ小柄だったらよいというわけではありません。たとえば、準々決勝でアザレンカと戦ったオーストリアのパスゼックは、小柄ですが、私にはあまり魅力的なテニススタイルには見えませんでした。
体格がよい(もっと正確には身長と体重がある)選手は、フットワーク(正確にはステップ)とストロークが独立しても強いボールを打つことができます。フットワークを使ってボールの打点にまず移動する。移動してから、改めてボールに体重を乗せてボールを打つ。この2つの作業を別々に、連続して行うことができるのです。
しかし、体格がよいわけではない選手は、ステップワークとストロークがうまく同期(シンクロ)しなくてはなりません。打点のところまでのステップは、同時に、ストロークの一部でなくてはなりません。コート上での動きは、すべてが、ストロークの一部というわけです。そのためには、力の使い方も、体の使い方も、そしてステップにも無駄がありません。
そういうプレーヤーは、見ていて美しいし、楽しいのです。別項(メシールのテニス(12) なぜメシールのテニスは美しいのか~フットワークについて)で書きましたが、私がメシールのテニスが好きな理由は、メシールは典型的な後者のプレーヤーだからです。他には、かつてのチェコスロバキア選手として活躍したハナ・マンドリコバなどがそうでしょう。精神的にむらっけがあったものの、マンドリコバのプレーは、コートの中でまるで踊っているように美しいものでした。
話は変わりますが、もし、あなたが、ベースラインの真ん中で構えてベースライン上で相手のボールをストロークで打つとして、ボールをヒットするのに何歩が必要かご存知ですか?ご存知がない方は、ぜひ、一度、コートで試してみてください。意外に少ないことに驚かれると思います(私は驚きました)。
たとえば、私の場合、フォアハンドはほぼ2歩、バックハンドは3歩です。つまり、合計でたった5歩で、実は、ベースラインの端から端までをカバーできるのです。最初の一歩は、フォアもバックも、ボールと反対側の足になります。たとえば、フォアハンドでは、左足が一歩目になります。
フォアハンドとバックハンドで歩数が違うのは、私の場合は(メシールを真似して)フォアハンドは基本的にはオープンスタンスで打つからです。また、実は、2歩では、サイドラインから50㎝~1mほど足りないため、本当にギリギリのボールに対しては、あと1歩(または2歩)必要になることもあります。私のレベル(中級)ではそこまできわどい球が飛んでくることは、ほとんどありませんが。
つまり、テニスのストローク戦は、この5歩でどこまで戦えるかということになります。たった5歩と言っても、簡単ではありません。特に、ボールを打った後で元のポジションに戻るときも、フォア2歩、バック3歩で戻らねばなりません。ストロークで、右足または左足に体重が乗っているところでそれを戻し、さらに、少ない歩数でレディーポジションに戻るためには、ボールに入る・ボールを打つ・体重を戻す・レディーポジションに戻るという一連の動きがスムーズであることが求められます。
この一連の動きに無駄がなく、スムーズでなめらかであると、テニス全体が美しく感じます。
コートの上で、フットワークとストロークには境目はありません。フットワークを含めた大きな一つのストロークプレーがあるだけです。
広いコート上での、たった、5歩の、ダンス。
特に、両手バックハンドは、左膝と腰をしっかり落とすことが大切ですので、バックハンドの一連の動きのフットワーク全体に対する負担は大きくなります。メシールが、バックハンドストロークのアンフォースドエラーの後で、「もっとしっかり腰を落として!」と自分に言い聞かせるのを何度か見たことがあります。それでも、一連の動きはスムーズでなくてはなりません。
5歩の動きの中で、ボールをヒットする。これがスムーズで同期しているテニスこそが、美しいテニスです。バランスを崩さず、体重移動をスムーズに、そしてその中でボールとの距離の微調整をうまく取れること。ボールを強くたたくことよりも、ボールに強いスピンをかけるよりも、流れるようなプレーの中で重いボールを打つことが大切です。
このブログの最初の目的は、私自身が、なぜ、メシールのテニスを美しいと感じるかということでした。少しずつ、その答えに迫ってきているように感じます。
2011年10月16日
フィラ半額
今回は、ちょっとやわらかい話を。
ご存知の方も多いと思いますが、テニス観戦の楽しみの一つが、スタジアムコート外での「出店」です。ジャパンオープンでは、お祭り広場に日本に代理店または販売店があるブランドはほとんどすべてが出店を出しています。
私は、普段、フィラのテニスウェアを着ているのですが、フィラは、他のブランドよりも豊富な品ぞろえでアパレル半額セールをしています。SからLLまで、どのサイズにも、たくさんの商品が並んでいます。
半額でフィラが購入できるのもうれしいですが、品ぞろえが豊富なこともうれしいです。
このためにだけ期間中に有明に来る価値があるなあと思いました。思わず、たくさん買い物をしてしまいました。
ご存知の方も多いと思いますが、テニス観戦の楽しみの一つが、スタジアムコート外での「出店」です。ジャパンオープンでは、お祭り広場に日本に代理店または販売店があるブランドはほとんどすべてが出店を出しています。
私は、普段、フィラのテニスウェアを着ているのですが、フィラは、他のブランドよりも豊富な品ぞろえでアパレル半額セールをしています。SからLLまで、どのサイズにも、たくさんの商品が並んでいます。
半額でフィラが購入できるのもうれしいですが、品ぞろえが豊富なこともうれしいです。
このためにだけ期間中に有明に来る価値があるなあと思いました。思わず、たくさん買い物をしてしまいました。
2011年10月14日
2011年ジャパンオープン準決勝 2階級違うマレーとフェレールの基礎的な身体能力
2011年ジャパンオープン準決勝のマレー対フェレールを有明のスタジアムコートで生で見ての感想です。もしかしたら、テレビで観戦しても同じ印象を持ったかもしれませんが、生で見て強く感じたので、書いておこうと思います。
それは、この二人の身体能力が、あまりに違うということです。素人の私が見てわかるぐらいに、マレーはフェレールの身体能力を大きく上回っていたのです。世界ランキングは4位と5位の二人ですが、私が試合を見た印象は、まるで、二階級ぐらい違う二人のボクサーが試合をしているようでした。
フェレールの熱意のあるグランドストロークには好感を持ったのですが、しかし、マレーの前では、まるで大学生と中学生の試合のようでした。フェレールが必死になって打ったボールを、マレーがいとも簡単に1.5倍のスピードで打ち返してしまうシーンを、試合中に幾度も見ました。
男子ランキングの4位と5位の間には、おそらく、1位と4位の間よりも大きなギャップがあることを、思い知らされたゲームでした。フェレールには申し訳ないのですが、基本的な身体能力がここまで違うと、フェレールがマレーに勝つにはどうすればよいのか、私には全くわからないですね。残酷なプロスポーツの摂理を垣間見た試合でした。
それは、この二人の身体能力が、あまりに違うということです。素人の私が見てわかるぐらいに、マレーはフェレールの身体能力を大きく上回っていたのです。世界ランキングは4位と5位の二人ですが、私が試合を見た印象は、まるで、二階級ぐらい違う二人のボクサーが試合をしているようでした。
フェレールの熱意のあるグランドストロークには好感を持ったのですが、しかし、マレーの前では、まるで大学生と中学生の試合のようでした。フェレールが必死になって打ったボールを、マレーがいとも簡単に1.5倍のスピードで打ち返してしまうシーンを、試合中に幾度も見ました。
男子ランキングの4位と5位の間には、おそらく、1位と4位の間よりも大きなギャップがあることを、思い知らされたゲームでした。フェレールには申し訳ないのですが、基本的な身体能力がここまで違うと、フェレールがマレーに勝つにはどうすればよいのか、私には全くわからないですね。残酷なプロスポーツの摂理を垣間見た試合でした。
2011年10月13日
とてもよかった試合前の写真撮影とマレーの兄(ジャパンオープン2011レポート)
20年ぶりにジャパンオープンを観戦しました。当時、ちょっとしたトランクぐらいの業務用に近い大きさのビデオカメラを持ち込んで、係員に撮影しないように怒られたことを懐かしく思い出しながら、当時とは全く違う雰囲気の有明を楽しんできました。
私が見たのは、準決勝と決勝(ともに男子シングルス)なのですが、決勝戦はマレーが素晴らしいプレーでナダルを破ったことは、ご承知の通りです。その様子は、おそらく、WOWOWを含めた様々なメディアで伝えられたと思います。ここでは、メディアに載らなかった(であろう)ちょっとした出来事をレポートをしたいと思います。
ご存知の通り、試合前にはネットを挟んだ選手の撮影があるのですが、今回の決勝戦では、5人がカメラにおさまりました。ナダル・マレーの両選手と、車いすテニスの国枝選手、そして、二人の少年です。二人は、ともに13歳で、東北のジュニア大会の優勝と準優勝の選手だそうです。この記念写真の風景は、とてもよい絵でした。特に、ナダルは、強く感じるところがあったようで、少年たちにも、国枝選手にも、しきりに声をかけていました。
ナダルは、決勝戦終了後のインタビューでも、東北の大震災のことに触れていました。彼の、日本の大会に参加するにあたっての気持ちが、そこにあるようでした。
一方、優勝したマレーは、インタビューを短く切り上げました。「自分は、今から、ダブルスの決勝戦がある。(そこで、優勝するつもりなので)スポンサーや主催者への感謝の気持ちは、ダブルス決勝戦終了後に伝えたい」とういうことで、その場では観客への感謝の気持ちだけを伝えていました。単なる冗談ではなく、ダブルスでも勝てるという自信の表れだったのかもしれません。
マレーは、結局、(宣言通りに)ダブルスでも優勝するのですが、今回のペアは、実のお兄さんのジェイミー・マレーです。ジェイミーは、ダブルスではいろいろな大会に出ており、弟のアンディーとも時々ペアを組んでいるようです。
私は、やぼ用があり、決勝戦が終わった後に、すぐにスタジアムの外に出たのですが、ふと見ると、スタジアムコートのすぐ横のコートで、ジェイミー・マレーが一人でサービスの練習をしていました。コーチもパートナーもつかず、一人で10球ほどサーブを打っては、反対サイドでボールを拾っていました。見ている人もほとんどいなかったので、ボールを拾いに歩いていた彼に、観客席から、「弟は、優勝コメントを、ダブルスの決勝の後に残していたよ。だから、ダブルスの試合では優勝してね!」と声をかけたら、こちらに向いてにこっと笑って「OK」と言っていました。
本当は、練習中の選手に声をかけてはいけないのでしょうが、こんなふうな、ちょっとした触れ合いができるのがサイドコートの楽しいところですね。
私が見たのは、準決勝と決勝(ともに男子シングルス)なのですが、決勝戦はマレーが素晴らしいプレーでナダルを破ったことは、ご承知の通りです。その様子は、おそらく、WOWOWを含めた様々なメディアで伝えられたと思います。ここでは、メディアに載らなかった(であろう)ちょっとした出来事をレポートをしたいと思います。
ご存知の通り、試合前にはネットを挟んだ選手の撮影があるのですが、今回の決勝戦では、5人がカメラにおさまりました。ナダル・マレーの両選手と、車いすテニスの国枝選手、そして、二人の少年です。二人は、ともに13歳で、東北のジュニア大会の優勝と準優勝の選手だそうです。この記念写真の風景は、とてもよい絵でした。特に、ナダルは、強く感じるところがあったようで、少年たちにも、国枝選手にも、しきりに声をかけていました。
ナダルは、決勝戦終了後のインタビューでも、東北の大震災のことに触れていました。彼の、日本の大会に参加するにあたっての気持ちが、そこにあるようでした。
一方、優勝したマレーは、インタビューを短く切り上げました。「自分は、今から、ダブルスの決勝戦がある。(そこで、優勝するつもりなので)スポンサーや主催者への感謝の気持ちは、ダブルス決勝戦終了後に伝えたい」とういうことで、その場では観客への感謝の気持ちだけを伝えていました。単なる冗談ではなく、ダブルスでも勝てるという自信の表れだったのかもしれません。
マレーは、結局、(宣言通りに)ダブルスでも優勝するのですが、今回のペアは、実のお兄さんのジェイミー・マレーです。ジェイミーは、ダブルスではいろいろな大会に出ており、弟のアンディーとも時々ペアを組んでいるようです。
私は、やぼ用があり、決勝戦が終わった後に、すぐにスタジアムの外に出たのですが、ふと見ると、スタジアムコートのすぐ横のコートで、ジェイミー・マレーが一人でサービスの練習をしていました。コーチもパートナーもつかず、一人で10球ほどサーブを打っては、反対サイドでボールを拾っていました。見ている人もほとんどいなかったので、ボールを拾いに歩いていた彼に、観客席から、「弟は、優勝コメントを、ダブルスの決勝の後に残していたよ。だから、ダブルスの試合では優勝してね!」と声をかけたら、こちらに向いてにこっと笑って「OK」と言っていました。
本当は、練習中の選手に声をかけてはいけないのでしょうが、こんなふうな、ちょっとした触れ合いができるのがサイドコートの楽しいところですね。
2011年10月09日
ちょっと不親切な楽天オープンWebサイト
本日(10月9日)は、楽天ジャパンオープンの最終日、つまり、シングルス・ダブルスの決勝戦です。私は、20年ぶりにジャパンオープン(当時は、サントリーがスポンサーでした)の観戦に行きます。(今日の準決勝も観戦していました。)
で、本日の決勝戦(シングルス)も観戦できそうなので、試合開始時間を調べようと楽天ジャパンオープンのWebサイトを見たのですが…。
びっくりです。日本語での今日の試合時間の表示がないのです。英語のWebサイト(PDFファイル)ではシングルス決勝戦が午後2時からとなっていますが、それに対応する日本語のページがありません。また、ダブルス決勝戦がシングルス決勝戦の後(followed by)とありますが、だとしたら、正午から放送予定のWOWOWは最初の2時間、何を放映するのでしょうか…???
いずれにしても、日本で行われる大会なのですから、英語ページとは別に日本語ページは、用意してもらいたいものですね。また、前日の夜には、翌日のスケジュール(少なくとも開始時間ぐらいは)示してもらいたいものです。
と書いていたら、その後、午前0時に日本語のWebサイトが開示されました。マレーがシングルス・ダブルスの両方で決勝進出したので、時間調整に手間取ったようです。それは分かるのですが、遠方から来る観客のことを考えると、前日の0時に日本語での最終スケジュール公開とは…親切とは言えないと思います。
まあ、それはともかく、明日の(ではない、今日の)決勝戦は、ナダル、マレー、ともに、ぜひよいプレーを見せてもらいたいと思ます。私の予想は…と思ったのですが、今日の二人のプレーを見ている印象では、両者とも素晴らしく、予想は難しいです。あえて言うと、むらっけがあるマレーにナダルが付け込んで、ナダルが1セットダウンから逆転勝利するのではないかと予想します。もし、マレーが全くむらっけがなくパーフェクトな試合を展開できたら、ストレートでマレーが取ってしまうと思いますが。
で、本日の決勝戦(シングルス)も観戦できそうなので、試合開始時間を調べようと楽天ジャパンオープンのWebサイトを見たのですが…。
びっくりです。日本語での今日の試合時間の表示がないのです。英語のWebサイト(PDFファイル)ではシングルス決勝戦が午後2時からとなっていますが、それに対応する日本語のページがありません。また、ダブルス決勝戦がシングルス決勝戦の後(followed by)とありますが、だとしたら、正午から放送予定のWOWOWは最初の2時間、何を放映するのでしょうか…???
いずれにしても、日本で行われる大会なのですから、英語ページとは別に日本語ページは、用意してもらいたいものですね。また、前日の夜には、翌日のスケジュール(少なくとも開始時間ぐらいは)示してもらいたいものです。
と書いていたら、その後、午前0時に日本語のWebサイトが開示されました。マレーがシングルス・ダブルスの両方で決勝進出したので、時間調整に手間取ったようです。それは分かるのですが、遠方から来る観客のことを考えると、前日の0時に日本語での最終スケジュール公開とは…親切とは言えないと思います。
まあ、それはともかく、明日の(ではない、今日の)決勝戦は、ナダル、マレー、ともに、ぜひよいプレーを見せてもらいたいと思ます。私の予想は…と思ったのですが、今日の二人のプレーを見ている印象では、両者とも素晴らしく、予想は難しいです。あえて言うと、むらっけがあるマレーにナダルが付け込んで、ナダルが1セットダウンから逆転勝利するのではないかと予想します。もし、マレーが全くむらっけがなくパーフェクトな試合を展開できたら、ストレートでマレーが取ってしまうと思いますが。
2011年09月21日
全米オープン2011のカメラワークは変わってしまった…
全米オープン2011は、男女とも試合をテレビ観戦する時間がほとんどありませんでした。いろいろとよい試合があったみたいで、残念です。
じっくり観戦したのはフェデラーが2セットアップから逆転負けした試合の最初の2セットだけでした。昼間の自分のテニスで疲れていて、きっとフェデラーが勝つだろう思って眠ってしまったのですが、次の朝、結果を聞いてびっくりでした。
ということで、今年(2011年)の全米オープンについては、何も書くことがないのです…。が、一つだけ、テレビ放送で気が付いた点があります。そのことを書いてみようと思います。
4つのグランドスラム大会の放送のカメラワークには、それぞれ特徴がありました。ありました…と過去形で書いたのは、最近のグランドスラムのテレビ放送をあまりじっくりとみていないからです。私が知っているのは、1990年頃の話です。主として、4大大会のセンターコートのカメラワークについて書きます。
まず、全豪オープンですが、メルボルンの芝の大会のころは、正直なところひどいカメラワークでした。クーヨンのセンターコートでは、上の方からコート全体を俯瞰の固定カメラで映すだけです。もちろん、地上に近いカメラもありましたが、メインは俯瞰カメラでした。選手も小さくしか映りません。ボールも見づらくて、わかりにくい映像でした。
全仏オープンは、今でもそうだと思いますが、プレー以外の映像をしきりにさしこみたがります。見栄えの良い(美人の?)観客、ボールボーイ、コートの風景…。選手を映す場合にも、カメラを傾けて映してみたりと、とにかく「おしゃれな映像」を意識した番組作りの姿勢が見て取れます。クレーコート上のプレーは展開がやや遅くて地味に見える傾向にあるので、プレー以外の映像を華やかにしたいという意図かもしれません。このカメラワークは、おそらく、現在でも続いていると思います。
ウインブルドンは正攻法です。さすが、グランドスラム大会の中でも最も由緒があるだけあり、カメラワークもどっしろと構えたものです。全仏オープンのように奇をてらうこともなく、選手とプレーを正面から放送します。安心してゲームを楽しむことができる映像作りです。
グランドスラム大会の中で最も印象的だったのが、全米オープンでした。私は、全米オープンの映像が一番好きでした。好きというよりも、自分のテニスの勉強(参考)になる映像だったのです。
当時の全米オープンの映像は、選手と同じ高さの位置にカメラがありました。このカメラは、選手の背後から選手とボールを追いかける映像を見せてくれました。この映像はすごかった。この近距離で選手やボールの動きを追いかけるということは、固定カメラでは無理なのです。つまり、ボールに合わせて、常にカメラを左右に振ることになります。
これは、カメラマンやディレクターには大変な労力だと思います。しかし、そのおかげでボールの軌道や勢い、選手のフットワークとラケットワークなど、生々しく見ることができます。メシールがどんなフォームでどんなふうにボールを打つのかも、このカメラで随分とみることができました。Youtubeで公開されているヴィランデル戦をぜひ見てみてください。
しかし、今年(2011年)の全米オープンでは、この選手目線のカメラワークを(ほとんど)見ることができませんでした。どちらかというと、ウインブルドンと同じような映像制作になっていました。どうしてなのか?いつごろから変わってしまったのか?理由は時期はわかりませんが、あのすばらしいカメラワークがもう見れなくなったのだとすると、とても寂しいことです。ぜひ、復活してもらいたいです。
じっくり観戦したのはフェデラーが2セットアップから逆転負けした試合の最初の2セットだけでした。昼間の自分のテニスで疲れていて、きっとフェデラーが勝つだろう思って眠ってしまったのですが、次の朝、結果を聞いてびっくりでした。
ということで、今年(2011年)の全米オープンについては、何も書くことがないのです…。が、一つだけ、テレビ放送で気が付いた点があります。そのことを書いてみようと思います。
4つのグランドスラム大会の放送のカメラワークには、それぞれ特徴がありました。ありました…と過去形で書いたのは、最近のグランドスラムのテレビ放送をあまりじっくりとみていないからです。私が知っているのは、1990年頃の話です。主として、4大大会のセンターコートのカメラワークについて書きます。
まず、全豪オープンですが、メルボルンの芝の大会のころは、正直なところひどいカメラワークでした。クーヨンのセンターコートでは、上の方からコート全体を俯瞰の固定カメラで映すだけです。もちろん、地上に近いカメラもありましたが、メインは俯瞰カメラでした。選手も小さくしか映りません。ボールも見づらくて、わかりにくい映像でした。
全仏オープンは、今でもそうだと思いますが、プレー以外の映像をしきりにさしこみたがります。見栄えの良い(美人の?)観客、ボールボーイ、コートの風景…。選手を映す場合にも、カメラを傾けて映してみたりと、とにかく「おしゃれな映像」を意識した番組作りの姿勢が見て取れます。クレーコート上のプレーは展開がやや遅くて地味に見える傾向にあるので、プレー以外の映像を華やかにしたいという意図かもしれません。このカメラワークは、おそらく、現在でも続いていると思います。
ウインブルドンは正攻法です。さすが、グランドスラム大会の中でも最も由緒があるだけあり、カメラワークもどっしろと構えたものです。全仏オープンのように奇をてらうこともなく、選手とプレーを正面から放送します。安心してゲームを楽しむことができる映像作りです。
グランドスラム大会の中で最も印象的だったのが、全米オープンでした。私は、全米オープンの映像が一番好きでした。好きというよりも、自分のテニスの勉強(参考)になる映像だったのです。
当時の全米オープンの映像は、選手と同じ高さの位置にカメラがありました。このカメラは、選手の背後から選手とボールを追いかける映像を見せてくれました。この映像はすごかった。この近距離で選手やボールの動きを追いかけるということは、固定カメラでは無理なのです。つまり、ボールに合わせて、常にカメラを左右に振ることになります。
これは、カメラマンやディレクターには大変な労力だと思います。しかし、そのおかげでボールの軌道や勢い、選手のフットワークとラケットワークなど、生々しく見ることができます。メシールがどんなフォームでどんなふうにボールを打つのかも、このカメラで随分とみることができました。Youtubeで公開されているヴィランデル戦をぜひ見てみてください。
しかし、今年(2011年)の全米オープンでは、この選手目線のカメラワークを(ほとんど)見ることができませんでした。どちらかというと、ウインブルドンと同じような映像制作になっていました。どうしてなのか?いつごろから変わってしまったのか?理由は時期はわかりませんが、あのすばらしいカメラワークがもう見れなくなったのだとすると、とても寂しいことです。ぜひ、復活してもらいたいです。
2011年08月02日
李娜(Na Li)の全仏オープン2011決勝戦
2011年の全仏オープン決勝をテレビ観戦しながら2011年6月4日に書いた記事です。私が、ブログでテニスの試合の印象などを書くきっかけになった記事です。
テニス365のブログサイトにも転載します。
+++
今、全仏オープン2011女子決勝の試合を見ています。実は、この文章は、リアルタイムで、つまりWOWOWで試合を見ながら書いています。
WOWOWには、試合前に、急いで加入しました。李娜(Na Li)という、中国人(アジア人)が初めてグランドスラムで優勝するかもしれない決勝戦を見たかったからです。インドなど、伝統的にテニスの強い国がアジアにはありますが、グランドスラムでの優勝は、今までありませんでした。
Na Liが、グランドスラム決勝という場で、どんな戦いを見せてくれるのか。実は、Na Liの試合を見るのは初めてなのです。
第1セットでは、Na Liのクラシカルなテニススタイルが、スキアボーネの眩惑的で多彩なテニスを凌駕しました。Na Liは、惑わされず、しっかりと、正攻法で戦っています。そして、第1セットは、サービスブレークをされる心配がほとんどないまま、セットを取りました。
第2セットも4-2とリードしたNa Liは、しかし、ここから、プレッシャーと戦い始めます。Na Liは、第2セット4-2から、スキアボーネのサービスでブレークチャンスをモノにできず、自分のミスでこのゲームを落とします。そして、その後もフォアハンドのミスを重ね、スキアボーネにじりじりと追いつかれていきます。
解説の神尾米さんが、これがグランドスラム優勝のプレッシャーだと説明しています。もちろん、グランドスラム初優勝のプレッシャーは計り知れないものでしょう。しかし、私の目には、それだけではないように映ります。もっと大きなものがNa Liを苦しめている。Na Liはネットの向こうのスキアボーネではなく、もっと別の、何か大きなものと戦っているように、私には見えたのです。
この試合は、アジア人がグランドスラム決勝で戦い、初のグランドスラマーになるかが話題の焦点でした。でも、果たして、それだけなのでしょうか。
この決勝戦の意味は、もっと大きいように思います。アジア人が、欧米が100年以上も中心であったたテニスというスポーツの、しかもその中心となるグラウンドスラム大会の決勝で、観客を含めた歴史と伝統という重みと戦い、その重圧を乗り越えることができるかどうかを試される一戦なのです。
第2セット後半に入り、スキアボーネがNa Liに追いつき始めてからは、大半の観客がスキアボーネの応援です。第2セット後半に入り、スキアポーネがポイントを取るたびに、大歓声が起こります。
パリっ子は、その歴史的背景から伝統的に判官びいきで、優勝経験のないNa Liへの応援が、前年度の優勝者であるスキアボーネをこえていると、試合前にレポートされていました。それが、手のひらを返したように、スタジアム全体でヨーロッパ人であるスキアボーネを後押ししている。残酷なヨーロッパの歴史が、観客すべてとスキアボーネを飲み込んで、Na Liに襲い掛かります。
第2セット後半に入り、ミスを繰り返すNa Liの苦悩の表情は、思い通りのプレーができないことに対する怒りだけなのでしょうか?
多くのプロスポーツは、別の側面から見ると、貧しい人たちが一獲千金を夢見て、這い上がる、のし上がる手段の一つです。ボクシングや野球で黒人選手が多いのは、偶然ではありません。裕福になりたいという野心が力になるメジャースポーツの中で、しかし、テニスは少し違います。かつてより貴族のものであったテニスというスポーツ。その伝統は、脈々と世界のテニスシーンの背景に流れています。全仏オープンの観客は、貧しさから這い上がるサクセスストーリーを求めて、ローランギャロスに集まるわけではない。ボクシングの世界チャンピオン戦のリングとは異なる空気が、グランドスラムのセンターコートを支配しています。
テニスは、もういいや、負けてもいいやと思ったら、こんなに楽なスポーツはありません。偶然に勝つということがないスポーツです。負けようと思って、たまたま勝ってしまったということがないスポーツです。Na Liが、観客という形で具現化された欧州の歴史の重みの中で、精神的に追い込まれ、瞬間的にそんな表情を見せるのが心配です。
Na Liには、優勝してほしい。でもそれは、自分がアジア人だから、アジア人に初めてグランドスラムで優勝してほしいということではないのです。
成長期に入ったアジアは、悲しい歴史を少しずつ乗り越え、企業の力や団体の力で、世界の中で成功した事例を持ちはじめてきました。しかし、テニスは、団体で戦う競技ではない。どれほど、中国が組織的に選手を育成したとしても、団体競技ではないのです。
テニスは、どんなに精神的に追い詰められても、コートの上でただ一人、数時間戦い抜く者が勝利を勝ち取る競技です。その間、コーチとも、友人とも、家族とも苦しみを分かち合えない、孤独で過酷なスポーツです。
今、Na Liは、スキアボーネではなく、欧米の伝統と、それに押しつぶされそうになる自分自身と戦っている。Na Liが、ヨーロッパのスタジアムというアウェーだけではなく、テニス競技そのものとその背景にあるヨーロッパの歴史に対するアウェーを感じているとしても、それは少しも大げさなことではないのです。
個人競技であるテニスにおいて、あらゆる伝統の重さを跳ね返し、欧米の文化の中心で異文化人であるアジア人が光を放つ瞬間が、今、目の前に来ようとしている。しかも、パリという、ヨーロッパの文化と歴史の象徴の街で。
私は、その瞬間を見たい。Na Liには勝ってほしい。
この気持ちを持つことができるのは、私がアジア人だからです。Na Liの感じる重圧を理解し、分かち合いながら応援をすることの意味が、そこにはある。そんな時間を持つことを、私は幸せに感じます。
今、コート上は、第2セット5-5です。Na Liは、明らかにグランドストロークで、ラケットを大きく振りきることができなくなっています。フラット系のグランドストロークでは、ラケットを振りきれなくなることは、何よりも怖いことです。ボールを制御することができなくなるからです。
どんな形でも良い。第1セットのような、ストロークでクロス、逆クロスにエースを取るようなきれいな形でなくてもよい。格好良くない勝ち方であっても、Na Liに勝ってほしい。背中にのしかかる巨大な伝統の重さを乗り越えることが、Na Liが、応援するすべてのアジア人が、なによりも望んでいることなのです。
第2セットの4-2からずっと腕が縮こまってしまってバックアウトとネットを繰り返していたNa Liが、5-6の0-15から、やや長いストローク戦で、グランドストロークのエースでポイントを取りました。何ゲームかぶりに、腕がしっかり伸びたフォアハンドストロークでした。そして、この瞬間に、Na Liの表情が、少し穏やかになったように見えました。もしかしたら、彼女自身がテニスという欧米の伝統の重圧から抜け出し、アジア人としてではなく一人の選手として、戦い始めた瞬間だったのかもしれません。
Na Liは、5-6から自分のサーブをキープしました。彼女の表情は、自分自身を含めたあらゆるものに対して怒りを感じながら、しかし、あらゆる怒りを受け入れた、不安のない表情になりました。Na Liが、テニスという伝統の中に飲み込まれ、テニス史上の一人のプレーヤーとしてプレーし始めています。今、Na Liは、アジア人ではありません。長い全仏オープンの歴史の中で、一番最後に並ぶ優勝に最も近いプレーヤーです。
今から第2セットのタイブレークです。Na Liの表情は、背負う多くのものから開放され、今はとても穏やかです。大丈夫です。Na Liは、このタイブレークを取ることができます。優勝できると思います。
テニス365のブログサイトにも転載します。
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今、全仏オープン2011女子決勝の試合を見ています。実は、この文章は、リアルタイムで、つまりWOWOWで試合を見ながら書いています。
WOWOWには、試合前に、急いで加入しました。李娜(Na Li)という、中国人(アジア人)が初めてグランドスラムで優勝するかもしれない決勝戦を見たかったからです。インドなど、伝統的にテニスの強い国がアジアにはありますが、グランドスラムでの優勝は、今までありませんでした。
Na Liが、グランドスラム決勝という場で、どんな戦いを見せてくれるのか。実は、Na Liの試合を見るのは初めてなのです。
第1セットでは、Na Liのクラシカルなテニススタイルが、スキアボーネの眩惑的で多彩なテニスを凌駕しました。Na Liは、惑わされず、しっかりと、正攻法で戦っています。そして、第1セットは、サービスブレークをされる心配がほとんどないまま、セットを取りました。
第2セットも4-2とリードしたNa Liは、しかし、ここから、プレッシャーと戦い始めます。Na Liは、第2セット4-2から、スキアボーネのサービスでブレークチャンスをモノにできず、自分のミスでこのゲームを落とします。そして、その後もフォアハンドのミスを重ね、スキアボーネにじりじりと追いつかれていきます。
解説の神尾米さんが、これがグランドスラム優勝のプレッシャーだと説明しています。もちろん、グランドスラム初優勝のプレッシャーは計り知れないものでしょう。しかし、私の目には、それだけではないように映ります。もっと大きなものがNa Liを苦しめている。Na Liはネットの向こうのスキアボーネではなく、もっと別の、何か大きなものと戦っているように、私には見えたのです。
この試合は、アジア人がグランドスラム決勝で戦い、初のグランドスラマーになるかが話題の焦点でした。でも、果たして、それだけなのでしょうか。
この決勝戦の意味は、もっと大きいように思います。アジア人が、欧米が100年以上も中心であったたテニスというスポーツの、しかもその中心となるグラウンドスラム大会の決勝で、観客を含めた歴史と伝統という重みと戦い、その重圧を乗り越えることができるかどうかを試される一戦なのです。
第2セット後半に入り、スキアボーネがNa Liに追いつき始めてからは、大半の観客がスキアボーネの応援です。第2セット後半に入り、スキアポーネがポイントを取るたびに、大歓声が起こります。
パリっ子は、その歴史的背景から伝統的に判官びいきで、優勝経験のないNa Liへの応援が、前年度の優勝者であるスキアボーネをこえていると、試合前にレポートされていました。それが、手のひらを返したように、スタジアム全体でヨーロッパ人であるスキアボーネを後押ししている。残酷なヨーロッパの歴史が、観客すべてとスキアボーネを飲み込んで、Na Liに襲い掛かります。
第2セット後半に入り、ミスを繰り返すNa Liの苦悩の表情は、思い通りのプレーができないことに対する怒りだけなのでしょうか?
多くのプロスポーツは、別の側面から見ると、貧しい人たちが一獲千金を夢見て、這い上がる、のし上がる手段の一つです。ボクシングや野球で黒人選手が多いのは、偶然ではありません。裕福になりたいという野心が力になるメジャースポーツの中で、しかし、テニスは少し違います。かつてより貴族のものであったテニスというスポーツ。その伝統は、脈々と世界のテニスシーンの背景に流れています。全仏オープンの観客は、貧しさから這い上がるサクセスストーリーを求めて、ローランギャロスに集まるわけではない。ボクシングの世界チャンピオン戦のリングとは異なる空気が、グランドスラムのセンターコートを支配しています。
テニスは、もういいや、負けてもいいやと思ったら、こんなに楽なスポーツはありません。偶然に勝つということがないスポーツです。負けようと思って、たまたま勝ってしまったということがないスポーツです。Na Liが、観客という形で具現化された欧州の歴史の重みの中で、精神的に追い込まれ、瞬間的にそんな表情を見せるのが心配です。
Na Liには、優勝してほしい。でもそれは、自分がアジア人だから、アジア人に初めてグランドスラムで優勝してほしいということではないのです。
成長期に入ったアジアは、悲しい歴史を少しずつ乗り越え、企業の力や団体の力で、世界の中で成功した事例を持ちはじめてきました。しかし、テニスは、団体で戦う競技ではない。どれほど、中国が組織的に選手を育成したとしても、団体競技ではないのです。
テニスは、どんなに精神的に追い詰められても、コートの上でただ一人、数時間戦い抜く者が勝利を勝ち取る競技です。その間、コーチとも、友人とも、家族とも苦しみを分かち合えない、孤独で過酷なスポーツです。
今、Na Liは、スキアボーネではなく、欧米の伝統と、それに押しつぶされそうになる自分自身と戦っている。Na Liが、ヨーロッパのスタジアムというアウェーだけではなく、テニス競技そのものとその背景にあるヨーロッパの歴史に対するアウェーを感じているとしても、それは少しも大げさなことではないのです。
個人競技であるテニスにおいて、あらゆる伝統の重さを跳ね返し、欧米の文化の中心で異文化人であるアジア人が光を放つ瞬間が、今、目の前に来ようとしている。しかも、パリという、ヨーロッパの文化と歴史の象徴の街で。
私は、その瞬間を見たい。Na Liには勝ってほしい。
この気持ちを持つことができるのは、私がアジア人だからです。Na Liの感じる重圧を理解し、分かち合いながら応援をすることの意味が、そこにはある。そんな時間を持つことを、私は幸せに感じます。
今、コート上は、第2セット5-5です。Na Liは、明らかにグランドストロークで、ラケットを大きく振りきることができなくなっています。フラット系のグランドストロークでは、ラケットを振りきれなくなることは、何よりも怖いことです。ボールを制御することができなくなるからです。
どんな形でも良い。第1セットのような、ストロークでクロス、逆クロスにエースを取るようなきれいな形でなくてもよい。格好良くない勝ち方であっても、Na Liに勝ってほしい。背中にのしかかる巨大な伝統の重さを乗り越えることが、Na Liが、応援するすべてのアジア人が、なによりも望んでいることなのです。
第2セットの4-2からずっと腕が縮こまってしまってバックアウトとネットを繰り返していたNa Liが、5-6の0-15から、やや長いストローク戦で、グランドストロークのエースでポイントを取りました。何ゲームかぶりに、腕がしっかり伸びたフォアハンドストロークでした。そして、この瞬間に、Na Liの表情が、少し穏やかになったように見えました。もしかしたら、彼女自身がテニスという欧米の伝統の重圧から抜け出し、アジア人としてではなく一人の選手として、戦い始めた瞬間だったのかもしれません。
Na Liは、5-6から自分のサーブをキープしました。彼女の表情は、自分自身を含めたあらゆるものに対して怒りを感じながら、しかし、あらゆる怒りを受け入れた、不安のない表情になりました。Na Liが、テニスという伝統の中に飲み込まれ、テニス史上の一人のプレーヤーとしてプレーし始めています。今、Na Liは、アジア人ではありません。長い全仏オープンの歴史の中で、一番最後に並ぶ優勝に最も近いプレーヤーです。
今から第2セットのタイブレークです。Na Liの表情は、背負う多くのものから開放され、今はとても穏やかです。大丈夫です。Na Liは、このタイブレークを取ることができます。優勝できると思います。
2011年08月02日
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