2011年09月29日
李娜(Na Li)は復活できるか?
2011年の全仏オープンで優勝した後の李娜(Na Li)の成績が冴えません。ウインブルドンでも、全米オープンでも、期待に反する早いラウンドで敗退してしまいました。
李娜は復活できるのでしょうか?
自分から投げかけたこの問いですが、私の答えは、無責任にも「分からない」です。年齢的に考えても、絶対にカムバックできるとは簡単には言えないでしょう。
が、私はこう言いたいのです。「別に、カムバックできなくてもいいじゃん。だって、李娜のキャリアは、李娜のものなんだから。」
李娜以外の我々が、彼女のキャリアをどうこう言ってもしょうがないことです。私は、ただ、彼女がどのように彼女のテニスライフを楽しむかが見たいだけです。もし、彼女がテニスを楽しめなくなったとすればそれはとっても不幸なことですし、その時には、いよいよ、キャリアを終わらせるときだろうと思います。しかし、李娜がテニスを楽しめる限りは、私も李娜のテニスを楽しみたいと、そんな風に思うのです。
李娜の全仏オープン決勝で、彼女が背負っているものの大きさを感じ、”ナ・リ(Na Li)の全仏オープン2011”というタイトルでブログに書きました。しかし、李娜自身は、中国が国家的にスポーツ選手を育成する、いわゆるナショナルチームを離れ、プライベートチームを作って戦う道を選びました。インタビューでも「私は、国を背負ってプレーしているのではないわ」と言っています。
一方で、"Can you tell the Chinese don't teach me how to play tennis?"という面白いことを、試合中に審判に対して言ったりもしています。「中国人にはテニスがわからないとでもいうの?」とでも言いたそうで、むしろ自分が中国人選手であることは意識していることが分かります。
これまでの李娜のインタビューをいろいろ調べてみましたが、「面白くて楽しいインタビュー」という表現がぴったりです。「昨晩は隣に寝ている夫(コーチとしてツアーに同行している)のいびきがうるさくて1時間ごとに起こされたから、調子は良くなかったわ!」とか、「お母さんに、自分の試合を見に来てよと言っても、私には私の生活があるからと、絶対に見に来てくれないのよ!」とか、自分や自分の家族のことをネタに、観客を楽しませてくれます。それ以外にも、インタビューで、懸命に面白いことを言おうとしているシーンを、何度も見ました。
李娜は、全豪オープンで準優勝し、全仏オープンで優勝しているトップ選手です。もっと、堂々としても誰も文句は言わないはずです。母国語ではない英語で、自分や自分の家族、身の回りの人を題材にしてジョークを言い、観客を笑わせる必要がない立場です。
李娜の英語は、下手ではないのですが、子どものころからアメリカに渡っている外国人ほどは流暢でははありません。ある程度の年齢になってから、世界を渡り歩くうちにだんだん身についた英語なのでしょう。(だから、時々、文法を間違えていたりもしています。)でも、李娜はそんなことに、気にもしません。自分から、いろいろなジョークを交えて、積極的に話します。
全仏オープン決勝直後のインタビューでも、「試合中、リラックスしているように見えましたが?」という質問に、「いいえ、実は、とても緊張していたの。でも、相手に悟られたくなかったので、ちょっとごまかしていたのよ(I was cheating)」と笑いながらコメントしています。あえて言う必要のない最後の一言に、やはり何か面白いことを言って楽しませたいという李娜の気持ちが見え隠れします。
引っ込み思案な日本人、自己主張の強い中国人、どちらのタイプともかなり違います。多くの人が「アジア人」から想像するイメージとは、李娜はかけ離れています。
ふと、国際会議のバンケット(パーティー)で、日本人と中国人は他国からの参加者に積極的に話しかけず、仲間内で集まってしまうことを思い出しました。李娜だったら、周りを気にせず、どんどん、いろんな人に話しかけていくでしょう。
プロテニス選手でありながら一度大学に戻り勉強をするなど、自分の道は自分で選び、自分のライフプランで歩み続けるのが、李娜です。組織や他人に依存せず、自分で考え、行動し、表現できる選手なのです。
2011年の全仏オープン決勝の解説で神尾米さんも言っていましたが、試合後の李娜は、試合中とは全く異なる、愛らしい表情をします。試合中は、眉間にしわを寄せて、とても厳しい表情なのです。試合が終わるとクールダウンし、試合結果を引きずらないタイプだということが分かります。
これらをすべて考えると、私には、李娜という選手の本質が見えてくるような気がします。
李娜は、オフコートではもちろん、オンコートでも、テニス選手としての自分を外から冷静に、客観的に見る”もう一人の自分”を持っているのだと思います。中国という、世界のテニスシーンではマイナーな国の出身である自分自身を楽しみ、観客がそれをどう見るかを理解しているもう一人の自分がいます。
おそらく、試合に負けた時でさえ、がっかりし、落ち込んでいる自分の姿を外から冷静に見るもうひとりの自分を失ってはないのでしょう。勝った時には、その喜びを観客と一緒に分かち合おうとジョークを飛ばす自分がいるのです。「日本人にはテニスが分からないとでもいうの?」なんて、試合中に審判に言う(しかも、英語で!)日本人選手がいるでしょうか?もう一人の李娜は、試合中ですら、自分が中国人選手であることを楽しんでいるように見えます。
ここまで、自分を客観的に見ることができる選手を、私は、初めて知りました。
テニスはスポーツですから、そんな自分を客観的に見るもうひとりの自分がいても、試合に勝てるとは限りません。メンタルをコントロールできることと、試合をコントロールできることは、必ずしも同じではありません。だから、私は、李娜が世界ランキングでで上位に来るかは分かりません。
でも、李娜を応援したいと思います。李娜がアジア人だからではありません。李娜のインタビューが面白いからでもありません。
李娜を応援することで、李娜と一緒にテニスを楽しむことができるからです。オンコートでも、オフコートでも、試合を楽しみ、勝敗を楽しむもう一人の李娜がいて、きっともう一人の李娜は、勝っても負けても観る者を楽しませてくれると思います。李娜がテニスを楽しみ続ける限りは、そんな李娜のテニスを、私も一緒に楽しみたいと思います。
⇒元記事はこちら
李娜は復活できるのでしょうか?
自分から投げかけたこの問いですが、私の答えは、無責任にも「分からない」です。年齢的に考えても、絶対にカムバックできるとは簡単には言えないでしょう。
が、私はこう言いたいのです。「別に、カムバックできなくてもいいじゃん。だって、李娜のキャリアは、李娜のものなんだから。」
李娜以外の我々が、彼女のキャリアをどうこう言ってもしょうがないことです。私は、ただ、彼女がどのように彼女のテニスライフを楽しむかが見たいだけです。もし、彼女がテニスを楽しめなくなったとすればそれはとっても不幸なことですし、その時には、いよいよ、キャリアを終わらせるときだろうと思います。しかし、李娜がテニスを楽しめる限りは、私も李娜のテニスを楽しみたいと、そんな風に思うのです。
李娜の全仏オープン決勝で、彼女が背負っているものの大きさを感じ、”ナ・リ(Na Li)の全仏オープン2011”というタイトルでブログに書きました。しかし、李娜自身は、中国が国家的にスポーツ選手を育成する、いわゆるナショナルチームを離れ、プライベートチームを作って戦う道を選びました。インタビューでも「私は、国を背負ってプレーしているのではないわ」と言っています。
一方で、"Can you tell the Chinese don't teach me how to play tennis?"という面白いことを、試合中に審判に対して言ったりもしています。「中国人にはテニスがわからないとでもいうの?」とでも言いたそうで、むしろ自分が中国人選手であることは意識していることが分かります。
これまでの李娜のインタビューをいろいろ調べてみましたが、「面白くて楽しいインタビュー」という表現がぴったりです。「昨晩は隣に寝ている夫(コーチとしてツアーに同行している)のいびきがうるさくて1時間ごとに起こされたから、調子は良くなかったわ!」とか、「お母さんに、自分の試合を見に来てよと言っても、私には私の生活があるからと、絶対に見に来てくれないのよ!」とか、自分や自分の家族のことをネタに、観客を楽しませてくれます。それ以外にも、インタビューで、懸命に面白いことを言おうとしているシーンを、何度も見ました。
李娜は、全豪オープンで準優勝し、全仏オープンで優勝しているトップ選手です。もっと、堂々としても誰も文句は言わないはずです。母国語ではない英語で、自分や自分の家族、身の回りの人を題材にしてジョークを言い、観客を笑わせる必要がない立場です。
李娜の英語は、下手ではないのですが、子どものころからアメリカに渡っている外国人ほどは流暢でははありません。ある程度の年齢になってから、世界を渡り歩くうちにだんだん身についた英語なのでしょう。(だから、時々、文法を間違えていたりもしています。)でも、李娜はそんなことに、気にもしません。自分から、いろいろなジョークを交えて、積極的に話します。
全仏オープン決勝直後のインタビューでも、「試合中、リラックスしているように見えましたが?」という質問に、「いいえ、実は、とても緊張していたの。でも、相手に悟られたくなかったので、ちょっとごまかしていたのよ(I was cheating)」と笑いながらコメントしています。あえて言う必要のない最後の一言に、やはり何か面白いことを言って楽しませたいという李娜の気持ちが見え隠れします。
引っ込み思案な日本人、自己主張の強い中国人、どちらのタイプともかなり違います。多くの人が「アジア人」から想像するイメージとは、李娜はかけ離れています。
ふと、国際会議のバンケット(パーティー)で、日本人と中国人は他国からの参加者に積極的に話しかけず、仲間内で集まってしまうことを思い出しました。李娜だったら、周りを気にせず、どんどん、いろんな人に話しかけていくでしょう。
プロテニス選手でありながら一度大学に戻り勉強をするなど、自分の道は自分で選び、自分のライフプランで歩み続けるのが、李娜です。組織や他人に依存せず、自分で考え、行動し、表現できる選手なのです。
2011年の全仏オープン決勝の解説で神尾米さんも言っていましたが、試合後の李娜は、試合中とは全く異なる、愛らしい表情をします。試合中は、眉間にしわを寄せて、とても厳しい表情なのです。試合が終わるとクールダウンし、試合結果を引きずらないタイプだということが分かります。
これらをすべて考えると、私には、李娜という選手の本質が見えてくるような気がします。
李娜は、オフコートではもちろん、オンコートでも、テニス選手としての自分を外から冷静に、客観的に見る”もう一人の自分”を持っているのだと思います。中国という、世界のテニスシーンではマイナーな国の出身である自分自身を楽しみ、観客がそれをどう見るかを理解しているもう一人の自分がいます。
おそらく、試合に負けた時でさえ、がっかりし、落ち込んでいる自分の姿を外から冷静に見るもうひとりの自分を失ってはないのでしょう。勝った時には、その喜びを観客と一緒に分かち合おうとジョークを飛ばす自分がいるのです。「日本人にはテニスが分からないとでもいうの?」なんて、試合中に審判に言う(しかも、英語で!)日本人選手がいるでしょうか?もう一人の李娜は、試合中ですら、自分が中国人選手であることを楽しんでいるように見えます。
ここまで、自分を客観的に見ることができる選手を、私は、初めて知りました。
テニスはスポーツですから、そんな自分を客観的に見るもうひとりの自分がいても、試合に勝てるとは限りません。メンタルをコントロールできることと、試合をコントロールできることは、必ずしも同じではありません。だから、私は、李娜が世界ランキングでで上位に来るかは分かりません。
でも、李娜を応援したいと思います。李娜がアジア人だからではありません。李娜のインタビューが面白いからでもありません。
李娜を応援することで、李娜と一緒にテニスを楽しむことができるからです。オンコートでも、オフコートでも、試合を楽しみ、勝敗を楽しむもう一人の李娜がいて、きっともう一人の李娜は、勝っても負けても観る者を楽しませてくれると思います。李娜がテニスを楽しみ続ける限りは、そんな李娜のテニスを、私も一緒に楽しみたいと思います。
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