2011年08月03日
真にマナーの良いプレーヤーは誰か?
私は、20年近く、つまりメシールが引退してから最近まで、ほとんどテニスの試合を見ていませんでした。スタジアムに出向くことはもちろん、テレビで観戦することもありませんでした。仕事が忙しくて、テニスから遠ざかっていた20年間でした。
2年ほど前から再びラケットを握るようになり、それが理由でしょうか、今年(2011年)に入ってからは、時々、テレビ観戦するようになりました。今年の全仏オープンでは、李娜(Na Li)という選手の決勝戦を見たくて、WOWOWにも加入しました。
私がテニス観戦を再開して一番驚いたのは、コートによってはチャレンジというシステムが導入されていたことです。このシステムはあまりにもマンガ的で、初めて見た時には、正直なところ笑ってしまいました。「人間の判定に不満があるときは、機械(センサー)に再判定してもらうなんて…」という感じです。
笑ってしまったのは、後述しますが、スポーツにおけるジャッジというものを、このシステムは根底から無視しているからというのも理由です。こんなシステムが導入されては、プレーヤーはジャッジに苦情を言うことはできなくなりますね。確かに。
余談ですが、このシステムが、RICOH(リコー社)という日本企業が作ったシステムであることにも、別の意味で感心しました。「ああ、テニスコート上で日本が真価を発揮するのは、選手よりも企業なのか…」と。セイコーの時計やダンロップのボール、本当にテニスコートには、日本製品がいろいろなところで活躍しています。
さて、久しぶりにプロのテニスの試合を見て驚いたのは、プレーヤーたちのマナーの良さです。私がかつて見たプレーヤーたち、マッケンロー、コナーズ、レンドル…と比べて、フェデラー、ナダル、ジョコビッチ…たちの、マナーの良いこと。
これは、どうも、チャレンジシステムのおかげだけではなさそうです。
かなりの想像で書きますが、このことは、いろいろなことを示唆しているように思います。たとえば、私が(マナーがよろしくない)たとえで書いた3人は、3人ともアメリカ人(マッケンロー、コナーズ)であるか、またはアメリカに事実上移住した選手(レンドル)です。一方、現在の3名は、3人ともヨーロッパ人です。
アメリカでは、プロスポーツは興業です。エンターテイメントです。表現がよくないのを承知で書くと、アメリカではプロスポーツは観客を喜ばせ、興奮させるための商品です。
一方で、ヨーロッパでは、スポーツに違う香りがします。李娜(Na Li)の全仏オープン2011決勝戦で書いたように、伝統あるテニススタジアムの空気はヨーロッパの文化の中に溶け込んでいるように思えます。
私がテニスを見なかった20年間で、テニスは、やっと、興業から伝統的スポーツに昇華したのかもしれません。(その中で、チャレンジシステムが果たした役割はさして大きくないと思いますが…。)
ちょうど私がメシールのテニスを見ていたころの選手の一人に、アメリカのブラッド・ギルバードという選手がいます。メシールがオリンピックの決勝戦で戦っているときに、エドバーグと一緒にその決勝戦の会場にいたギルバードの姿をよく覚えています。ギルバートは準決勝で同じアメリカのメイヨットに敗れて、表彰式のために決勝戦を観戦していた(させられていた?)のです。
このギルバートに、Winning Ugly(格好悪くても勝つ)という著書があります。この著書の中で、当時の興業ベースのプロテニスツアーの当時の姿が描かれています。興業のために、強いマッケンロー、強いコナーズが陽に陰に特別扱いされていた様子が。
さて、そんな当時の男子プロテニス界にも、マナーがよい選手は大勢いました。チェコスロバキア(今はスロバキア)のプロテニス選手であるメシール(メチージュ)は、その中でもひときわマナーがよい選手でした。
さて、ここからがこの稿の本題です。ここでは、メシールのプレーマナーを思い出しながら、プロスポーツの試合でマナーがよいということは、何を意味するのかについて考えてみたいと思います。
私は、メシールの(当時の)試合のDVDをいろいろな形で手に入れて、今、20~30試合程度持っています。こんなにたくさんメシールのDVDを持っている人は、日本では他にあまりいないのではないでしょうか?私の貴重なコレクションです。(ちょっと自慢です(笑)。)
もちろん、すべての試合を、目を皿のよう何度も見ました。1988年のウインブルドン準決勝のエドベリ(エドバーグ)戦などは、もう、何度見たことがわかりません。別項で書きますが、この試合は、私が見たすべてのテニスの試合でベストマッチです。
メシールのプレーを見て、特筆すべきことの一つが、そのプレーマナーです。プロの男子テニス選手で、当時、ここまで審判にクレームをつけることがない選手を、私は他に知りません。負けそうな試合ですら、ジャッジに文句も言わずに淡々とプレーするので、逆に「メシールはやる気があるのか」と思うことがあるぐらいです。どうしてもクレームをつける時には、アウトした場所にボールを置いて審判を見ずにそっぽに歩いていったり、観客席に座って他のお客さんと一緒に「アウトじゃないか」というそぶりをしたり、ユーモアいっぱいで殺伐とした雰囲気にならないやり方でした。
当時(1980年代後半)のテニスプレーヤーでマナーがよい選手としては、例えばヴィランデルがいます。ヴィランデルも、本当にマナーの良いプレーヤーでした。そのヴィランデルですら、それでも、時々審判に文句を言っているのを見ました。
メシールがはっきりと態度でクレームをつけたのは、私のコレクションの中では、ただ一度だけです。それは、1987年のKey Biscayne(アメリカ)でのリプトン国際の決勝戦です。決勝戦の相手は、メシールが苦手としているレンドル。この試合、メシールは珍しくエキサイトしており、試合中、一度、線審に大きな身振りで激しく抗議をしました。レンドルのストロークがベースラインをアウトしていたにも関わらず線審に「イン」と判断されたからです。
メシールがこんなに激しく抗議をするのを見たのは、後にも先にも、この一度だけです。と言っても、そのただ一度ですら、(判定は覆らないのですから)あっさりと引き下がったのですが。(わめきまわり、暴れまわるマッケンローとは大違い。)
なお、皮肉なことに、メシールが公式戦でレンドルに勝利したのは、メシールのキャリアの中で、この一度だけでした。趣味がつりだと言うメシールが、試合後のインタビューで「でっかい魚を釣り上げた」とコメントしたのは有名です。
メシールの、抗議とは全く正反対のシーンを見たことがあります。上に書いた、1988年のウインブルドン準決勝のエドベリ(エドバーグ)戦です。この試合のあるポイントで、エドバーグのファーストサーブがコーナーいっぱいにきれいに決まった時に、線審が「アウト!」とコールしたのです。え?と、驚くエドバーグ。しかし、メシールは、審判に対して何も言わず、当たり前のように「すたすた」と次のレシーブポジションに歩いて行ったのです。
会場がややどよめく中で、エドベリが日本流のスタイルでメシールに向かってお礼のお辞儀をした姿も印象的でした。その後、メシールもエドベリも、何事もなかったようにプレーを続けたのです。
この試合では、マッチポイントでメシールのボレーがネットした後の、メシールの態度が素敵でした。勝利してバンザイをしながらコート後ろの壁に倒れこむエドバーグ。そのエドバーグに向かって、メシールはネットをジャンプして勝者のコートに入っていったのです。勝者をたたえる握手をするために。
セットカウント2-0から2-3で逆転負けしたメシールが、悔しくなかったはずはありません。戦いを終えた二人の選手が、ネットを挟まずに肩を並べて審判席に向かって歩む姿は、今でも私の瞼の裏にはっきりと残っています。
朝日新聞の西村欣也氏は、私の好きなコラムニストの一人です。氏は自分のコラムの中で、しばしばスポーツにおけるジャッジ(判定)について同じことを述べています。「スポーツで審判に文句を言うのは間違えている。なぜなら、“最初から審判は間違えるモノ”だからだ」と。
私も、その意見に賛成です。人間が審判をする以上、間違いは避けることができません。スポーツの試合は、特に対戦型のスポーツは、それを前提としているのです。それが、ルールの中で戦うすべてのスポーツ競技の基本です。
しかし、プロフェッショナルではない、私程度のアマチュアプレーヤーでも、ミスジャッジはつらいものです。文句を言いたくなります。ジャッジに文句を言ったことも、何度もあります。わかっていても、明らかなアウトボールをインとジャッジされると、頭に来ることもあります。それをきっかけにメンタルからガタガタと崩れてしまうこともあります。それが、まあ、普通の(平凡な)人間でしょう。
そう考えると、トッププロでいながら、淡々とプレーするメシールの姿は、プロのスポーツプレーヤーとして、どこか、一段高いところにいるような気がしてならないのです。
当時、メシールと究極の反対の態度を取っていたのが、ご存知、米国のジョン・マッケンローでした。マッケンローは暴言を吐き散らしながら観客の拍手喝さいを浴び、そして、多くのメジャータイトルを取りました。
そのマッケンローは、いまだに世界中のテニスファンの記憶に残っています。一方、メシールはほとんど知られることなく、人々の記憶に残ることなく、短い選手生活を終えました。今、日本でメシールという選手を覚えている人は、熱心なテニスファンでもほんの一握りでしょう。
暴言を吐いてでも、ラインコールや審判に苦情を言い続けても、メジャー大会に勝つことが一番大切なのであれば、プロテニスプレーヤーというのは、なんとさびしくてむなしい職業なのでしょうか。グランドスラムで勝つごとができなかったメシールは、やはり、マッケンローには劣るのでしょうか。
私は、是非、知ってほしいのです。メシールは、もしかしたら、多くの人の記憶に残るプレーヤーではないかもしれない。メシールがテニスの世界に残したものは、マッケンローと比べて多くないのかかもしれない。でも、極東の小さな島国に、たった一人だけれども、そのプレーする姿をまぶたに焼き付け、20年以上もあこがれ続けている日本人がいることを。そのプレーは、コート上での振る舞いは、私に、テニスだけではなく、もっと大きなものとして、心の中に、今も変わらず、どっしりと残っていることを。
⇒この記事の初稿はこちらです。
2年ほど前から再びラケットを握るようになり、それが理由でしょうか、今年(2011年)に入ってからは、時々、テレビ観戦するようになりました。今年の全仏オープンでは、李娜(Na Li)という選手の決勝戦を見たくて、WOWOWにも加入しました。
私がテニス観戦を再開して一番驚いたのは、コートによってはチャレンジというシステムが導入されていたことです。このシステムはあまりにもマンガ的で、初めて見た時には、正直なところ笑ってしまいました。「人間の判定に不満があるときは、機械(センサー)に再判定してもらうなんて…」という感じです。
笑ってしまったのは、後述しますが、スポーツにおけるジャッジというものを、このシステムは根底から無視しているからというのも理由です。こんなシステムが導入されては、プレーヤーはジャッジに苦情を言うことはできなくなりますね。確かに。
余談ですが、このシステムが、RICOH(リコー社)という日本企業が作ったシステムであることにも、別の意味で感心しました。「ああ、テニスコート上で日本が真価を発揮するのは、選手よりも企業なのか…」と。セイコーの時計やダンロップのボール、本当にテニスコートには、日本製品がいろいろなところで活躍しています。
さて、久しぶりにプロのテニスの試合を見て驚いたのは、プレーヤーたちのマナーの良さです。私がかつて見たプレーヤーたち、マッケンロー、コナーズ、レンドル…と比べて、フェデラー、ナダル、ジョコビッチ…たちの、マナーの良いこと。
これは、どうも、チャレンジシステムのおかげだけではなさそうです。
かなりの想像で書きますが、このことは、いろいろなことを示唆しているように思います。たとえば、私が(マナーがよろしくない)たとえで書いた3人は、3人ともアメリカ人(マッケンロー、コナーズ)であるか、またはアメリカに事実上移住した選手(レンドル)です。一方、現在の3名は、3人ともヨーロッパ人です。
アメリカでは、プロスポーツは興業です。エンターテイメントです。表現がよくないのを承知で書くと、アメリカではプロスポーツは観客を喜ばせ、興奮させるための商品です。
一方で、ヨーロッパでは、スポーツに違う香りがします。李娜(Na Li)の全仏オープン2011決勝戦で書いたように、伝統あるテニススタジアムの空気はヨーロッパの文化の中に溶け込んでいるように思えます。
私がテニスを見なかった20年間で、テニスは、やっと、興業から伝統的スポーツに昇華したのかもしれません。(その中で、チャレンジシステムが果たした役割はさして大きくないと思いますが…。)
ちょうど私がメシールのテニスを見ていたころの選手の一人に、アメリカのブラッド・ギルバードという選手がいます。メシールがオリンピックの決勝戦で戦っているときに、エドバーグと一緒にその決勝戦の会場にいたギルバードの姿をよく覚えています。ギルバートは準決勝で同じアメリカのメイヨットに敗れて、表彰式のために決勝戦を観戦していた(させられていた?)のです。
このギルバートに、Winning Ugly(格好悪くても勝つ)という著書があります。この著書の中で、当時の興業ベースのプロテニスツアーの当時の姿が描かれています。興業のために、強いマッケンロー、強いコナーズが陽に陰に特別扱いされていた様子が。
さて、そんな当時の男子プロテニス界にも、マナーがよい選手は大勢いました。チェコスロバキア(今はスロバキア)のプロテニス選手であるメシール(メチージュ)は、その中でもひときわマナーがよい選手でした。
さて、ここからがこの稿の本題です。ここでは、メシールのプレーマナーを思い出しながら、プロスポーツの試合でマナーがよいということは、何を意味するのかについて考えてみたいと思います。
私は、メシールの(当時の)試合のDVDをいろいろな形で手に入れて、今、20~30試合程度持っています。こんなにたくさんメシールのDVDを持っている人は、日本では他にあまりいないのではないでしょうか?私の貴重なコレクションです。(ちょっと自慢です(笑)。)
もちろん、すべての試合を、目を皿のよう何度も見ました。1988年のウインブルドン準決勝のエドベリ(エドバーグ)戦などは、もう、何度見たことがわかりません。別項で書きますが、この試合は、私が見たすべてのテニスの試合でベストマッチです。
メシールのプレーを見て、特筆すべきことの一つが、そのプレーマナーです。プロの男子テニス選手で、当時、ここまで審判にクレームをつけることがない選手を、私は他に知りません。負けそうな試合ですら、ジャッジに文句も言わずに淡々とプレーするので、逆に「メシールはやる気があるのか」と思うことがあるぐらいです。どうしてもクレームをつける時には、アウトした場所にボールを置いて審判を見ずにそっぽに歩いていったり、観客席に座って他のお客さんと一緒に「アウトじゃないか」というそぶりをしたり、ユーモアいっぱいで殺伐とした雰囲気にならないやり方でした。
当時(1980年代後半)のテニスプレーヤーでマナーがよい選手としては、例えばヴィランデルがいます。ヴィランデルも、本当にマナーの良いプレーヤーでした。そのヴィランデルですら、それでも、時々審判に文句を言っているのを見ました。
メシールがはっきりと態度でクレームをつけたのは、私のコレクションの中では、ただ一度だけです。それは、1987年のKey Biscayne(アメリカ)でのリプトン国際の決勝戦です。決勝戦の相手は、メシールが苦手としているレンドル。この試合、メシールは珍しくエキサイトしており、試合中、一度、線審に大きな身振りで激しく抗議をしました。レンドルのストロークがベースラインをアウトしていたにも関わらず線審に「イン」と判断されたからです。
メシールがこんなに激しく抗議をするのを見たのは、後にも先にも、この一度だけです。と言っても、そのただ一度ですら、(判定は覆らないのですから)あっさりと引き下がったのですが。(わめきまわり、暴れまわるマッケンローとは大違い。)
なお、皮肉なことに、メシールが公式戦でレンドルに勝利したのは、メシールのキャリアの中で、この一度だけでした。趣味がつりだと言うメシールが、試合後のインタビューで「でっかい魚を釣り上げた」とコメントしたのは有名です。
メシールの、抗議とは全く正反対のシーンを見たことがあります。上に書いた、1988年のウインブルドン準決勝のエドベリ(エドバーグ)戦です。この試合のあるポイントで、エドバーグのファーストサーブがコーナーいっぱいにきれいに決まった時に、線審が「アウト!」とコールしたのです。え?と、驚くエドバーグ。しかし、メシールは、審判に対して何も言わず、当たり前のように「すたすた」と次のレシーブポジションに歩いて行ったのです。
会場がややどよめく中で、エドベリが日本流のスタイルでメシールに向かってお礼のお辞儀をした姿も印象的でした。その後、メシールもエドベリも、何事もなかったようにプレーを続けたのです。
この試合では、マッチポイントでメシールのボレーがネットした後の、メシールの態度が素敵でした。勝利してバンザイをしながらコート後ろの壁に倒れこむエドバーグ。そのエドバーグに向かって、メシールはネットをジャンプして勝者のコートに入っていったのです。勝者をたたえる握手をするために。
セットカウント2-0から2-3で逆転負けしたメシールが、悔しくなかったはずはありません。戦いを終えた二人の選手が、ネットを挟まずに肩を並べて審判席に向かって歩む姿は、今でも私の瞼の裏にはっきりと残っています。
朝日新聞の西村欣也氏は、私の好きなコラムニストの一人です。氏は自分のコラムの中で、しばしばスポーツにおけるジャッジ(判定)について同じことを述べています。「スポーツで審判に文句を言うのは間違えている。なぜなら、“最初から審判は間違えるモノ”だからだ」と。
私も、その意見に賛成です。人間が審判をする以上、間違いは避けることができません。スポーツの試合は、特に対戦型のスポーツは、それを前提としているのです。それが、ルールの中で戦うすべてのスポーツ競技の基本です。
しかし、プロフェッショナルではない、私程度のアマチュアプレーヤーでも、ミスジャッジはつらいものです。文句を言いたくなります。ジャッジに文句を言ったことも、何度もあります。わかっていても、明らかなアウトボールをインとジャッジされると、頭に来ることもあります。それをきっかけにメンタルからガタガタと崩れてしまうこともあります。それが、まあ、普通の(平凡な)人間でしょう。
そう考えると、トッププロでいながら、淡々とプレーするメシールの姿は、プロのスポーツプレーヤーとして、どこか、一段高いところにいるような気がしてならないのです。
当時、メシールと究極の反対の態度を取っていたのが、ご存知、米国のジョン・マッケンローでした。マッケンローは暴言を吐き散らしながら観客の拍手喝さいを浴び、そして、多くのメジャータイトルを取りました。
そのマッケンローは、いまだに世界中のテニスファンの記憶に残っています。一方、メシールはほとんど知られることなく、人々の記憶に残ることなく、短い選手生活を終えました。今、日本でメシールという選手を覚えている人は、熱心なテニスファンでもほんの一握りでしょう。
暴言を吐いてでも、ラインコールや審判に苦情を言い続けても、メジャー大会に勝つことが一番大切なのであれば、プロテニスプレーヤーというのは、なんとさびしくてむなしい職業なのでしょうか。グランドスラムで勝つごとができなかったメシールは、やはり、マッケンローには劣るのでしょうか。
私は、是非、知ってほしいのです。メシールは、もしかしたら、多くの人の記憶に残るプレーヤーではないかもしれない。メシールがテニスの世界に残したものは、マッケンローと比べて多くないのかかもしれない。でも、極東の小さな島国に、たった一人だけれども、そのプレーする姿をまぶたに焼き付け、20年以上もあこがれ続けている日本人がいることを。そのプレーは、コート上での振る舞いは、私に、テニスだけではなく、もっと大きなものとして、心の中に、今も変わらず、どっしりと残っていることを。
⇒この記事の初稿はこちらです。
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